本日、今季限りで現役を退き、指導の道へ進むことを公表したJ2・横浜FCのMF”ファンタジスタ”中村俊輔選手。
引退に際して、中村選手が海外でプレーしたチームの属する日本以外の各国でもその引退報道が一報されています。
中村選手が所属していた海外のクラブチームは、
- イタリア:セリアB(所属時はセリアA)「レッジーナ1914」
- スコットランド:スコティッシュ・プレミアシップ「セルティックFC」
- スペイン:ラ・リーガ「RCDエスパニョール」
この各国から引退報道がなされましたが、1国だけスーパードライにも引けを取らない辛口な報道を出した国が。
各国の報道内容について見ていきたいと思います。
【この記事でわかること】
・各国の中村俊輔選手への評価
中村俊輔選手引退に対する各国の報道
では、各国の報道について、チーターさんに解説してもらいます。チーターさん、よろしくお願いします。
イタリア
イタリアの衛生テレビ「Sky Italia」での報道内容は以下のとおりです。
『中村俊輔がサッカー界を去る。
レッジーナで2002年から2005年までプレーした日本人ファンタジスタは44歳で引退。
彼は2022年に引退を発表した有名選手リストの名を連ねる最新の人物だ。』
出典「Sky Itakia」
中村選手の長年のサッカー人生の中で、ヨーロッパでのキャリアスタート地となったイタリア「レッジーナ」。
3シーズン在籍中、公式戦87試合に出場、12ゴール4アシストを記録しました。
レッジーナの公式インスタグラムでは中村選手に対してこのようなポエムが掲載されました。
「ボールを操りながら背番号10番だけにしかできないダンスをする君の姿を見た。まるでPKであるかのようにFKを蹴る君の姿を見た。日出ずる国からレッジョ・カラブリアの太陽の下へとファンを導き、真っ直ぐに連なる異例の行列を作り出した君の姿を見た」 「偉大な旅は今日、終わりを迎えようとしている。長く、熱狂的な旅。ごくわずかな者にしか経験できない旅だった。我々の人生の一部であるこの小さな1ページが幕を閉じるのは名残惜しい。そんな中、かつてこの街で歌われていた、こんなにチャントに包まれていく。“ブラジル人ではないのに、なんてゴールだ! レッジョにはナカムラというアイドルがいる”」
翻訳出典「GOAL」
また、イタリアでは、以前にも「シュンスケ・ナカムラを覚えているか。カラブリア州の人々を熱狂させた優美な日本人だ」という見出しで特集が組まれていました。
イタリアも中村選手に対してかなりの高評価です。
スコットランド
ナカムラ選手は2005年7月にレッジーナからセルティックへ完全移籍。加入1年目からレギュラーに定着。4シーズン在籍でリーグ3連覇や国内カップ戦のタイトル獲得に貢献しました。セルティックサポーターの間では「レジェンド」として現在でも多大な支持を得ています。
スコットランドの全国紙「The Scotsman」での報道内容は以下のとおりです。
『パークヘッド(本拠地セルティック・パークの愛称)の人気者がついにスパイクをかける(引退する)ことになった。
在籍した4年間で数々のタイトルをもたらし、忘れがたいたくさんの記憶を残してくれた。なかでもフリーキックは有名である。
チャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦での一撃、タイトル奪取を決めた劇的なキルマーノック戦でのもの、そして、レンジャーズとの一戦でも極上のショットをねじ込んだ。
ナカムラはオールド・ファームダービーでゴールを決めた最初の日本人選手になったのだ』
出典「The Scotsman」
また、『スコティッシュ・サン』紙も同様に、「セルティックのヒーロー」が引退すると報じています。
中村選手ヨーロッパキャリアアの中で最も輝いていたと言ってもいいスコットランド「セルティック」。
セルティックでは145試合に出場し、31ゴール36アシストを記録
今後セルティックの公式インスタグラムでも中村選手に対してメッセージが掲載されるかもしれませんね。
ヨーロッパでのプレーの中で最も充実していたセルティック時代。セルティックサポーターからは「チームの指導者になってほしい」など熱烈なオファーもあるようです。
スペイン(辛)
前の2国と違い辛口な引退報道をされたのはスペイン。
スペインの日刊スポーツ紙「Marca」ではこう報道されています。
「エスパニョールを5か月で去った“銀河系”中村が44歳にして引退。
セルティックで4年プレーした後、彼はリーガにやってきた。だが、当時の監督によれば、文化的・言語的理由でスペインサッカーに適用できなかったという。
当時のサッカー界は、ピッチ上で提供できるもの以上の付加価値をもたらす“銀河系”と契約する時代だった。
エスパニョールは2009-10シーズンに彼と契約。スペインでもその能力に疑いはなかったが、クラブは日本人選手がもたらすアジア市場開拓、アジアツアー、日本でのファン拡大、ユニフォームの売り上げなどにも目を向けていた。
だが、その賭けは彼らが期待していたほどうまくはいかず。彼は5か月在籍した後、翌年2月に帰国してしまった」
出典「Marca」
「銀河系」と辛口ですが上手い揶揄。
確かに早々と移籍してしまったんで、事実は言葉通りです。
「中村はスペイン語ができず、コミュニケーションに難があった。ロッカールームでも孤立していた」
当時多くのスペイン人記者が締めくくりに使ったこの言葉。
技術面ではなく、コミュニケーションの壁は大きかったようです。
5ヶ月で移籍してしまうほど合わなかったんですね。
まとめ
スペイン人は全体的に、コミュニケーションに重きを置き、過去の実績ではなく実際の実力を評価する国民性なので、スペイン語ができずに、チームと連携を取ることが難しい状況の中、結果を出せなかった中村選手は辛口評価の対象となったと思われます。
中村選手自身が
「俺は半年しかいられなかったけど、一番濃かった。得るものはあった」
出典「Wikipedia」
「海外移籍で環境がガラリと変わるなか、いろいろなものを得ようと考えれば、スペインも悪くなかったと思います。2009年にエスパニョールに行きましたが、結果的に少し遅かったという感じもある。スペインに若い時に行っていたら、また違っただろうなという気がしますね」
出典「FOOTBALL OZONE」
と振り返るように、この経験や後悔もまた、次のステージである指導者の立場に生きてくるのではないでしょうか。
辛口なコメントも受け入れた上で、今度は指導者として世界に挑んでいく姿を見ていきたいと願います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。